(野口英世)人類のために生き 人類のために死す 


○1876(明治9)年、耶麻郡猪苗代町に生まれる(幼名は清作)。
○15歳の時、幼少時にいろりで大ヤケドを負った左手の手術がきっかけとなり、医師になる決心をする。
○北里柴太郎が所長をつとめる伝染病研究所に勤め、24歳の時、単身アメリカに渡り、蛇毒の研究を始める。
○1911(明治44)年、ロックフェラー医学研究所勤務時に「梅毒スピロヘータ」の純粋培養等に成功し、その後、ノーベル医学賞候補となる。
○1918(大正7)年、黄熱病の病原菌発見のため、当時の流行地であった南米エクアドルへ派遣される。到着後、黄熱病と思われる病原体の特定に成功し、開発した「野口ワクチン」により、南米での黄熱病死亡率が激減した。
○1928(昭和3)年、黄熱病研究のため西アフリカ、アクラ(現ガーナ共和国)に遠征中、自身が黄熱病に感染し、現地にて亡くなる。
○アフリカでの感染症などの疾病対策の研究・活動に顕著な功績を遂げた世界の医学者を対象とする「野口英世アフリカ賞」が創設され、2008(平成20)年5月に第1回の授与式が行われた。

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